こんにちは!
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巨人ファンとしてはワクワクするニュースが飛び込んできましたね。
桑田真澄さんが巨人の投手コーチとして入閣することがわかりましたね。
入閣ってニュースを見た時に入閣って??
政治家??と思ってしまいましたが!巨人に入閣ということだったんですね。
桑田真澄さんの基本情報
基本情報
国籍
日本
出身地
大阪府八尾市
生年月日
1968年4月1日
身長
174 cm
体重
80 kg
投球・打席
右投右打
ポジション
投手
プロ入り
1985年 ドラフト1位
初出場
NPB / 1986年5月25日
MLB / 2007年6月10日
最終出場
NPB / 2006年4月27日
MLB / 2007年8月14日
経歴
PL学園高等学校
読売ジャイアンツ (1986 – 2006)
ピッツバーグ・パイレーツ (2007)
若い世代にはmattさんの父として知られていますが。
30代を超えると桑田真澄さんの、息子のmattさん!!
1985年にドラフト1位で巨人に入団しています。
ドラフトには当時清原和博さんを巨人が指名すると言っていた中での桑田真澄さんの指名をしたことにより世間を大きく騒がせていましたね。
桑田真澄さんの成績
・当番数:442
・投球回数:2761.2
・勝利:173
・敗戦:141
・セーブ:14
・奪三振:1980
・与四死球:828
・防御率:3.55
・勝率:.551
【獲得タイトル】
最優秀防御率:2回(1987年、2002年)
最多奪三振:1回(1994年)
最高勝率:1回(1998年)
【表彰】
最優秀選手:1回 (1994年)沢村賞:1回 (1987年)
最優秀投手:1回 (1987年)
ベストナイン:1回 (1987年)
ゴールデングラブ賞:8回
(1987年、1988年、1991年、1993年、1994年、1997年、1998年、2002年)
200勝をしていないので名球界入りはしていませんが、とてつもない成績を残していますよね。
95年5月に東京ドームで行われた公式戦で、ダイビングキャッチをした際に右ひじを怪我してしまった影響が大きいですよね。
約2年間試合に出れませんでした。
復帰の時のマウンドに肘を置く姿は当時の小学生はみんな真似してましたね。
桑田真澄さんの入閣の経緯
06年11月23日東京ドームでファンフェスタの観衆3万6291人の前で退団セレモニーでこうコメントしています。
「21年間、18番を預からせていただいた。本当に感謝を込めてお返ししたいなと思う」
引退後の11年には、指導者としての将来的展望について
「巨人でユニホームを着られるのがベスト」
と語っていました。
プロ野球の指導経験こそないが解説やアマチュア指導者として活躍しました。
解説では桑田真澄氏がわからないことはすみません僕は打者のことはあまり詳しくないのでわかりませんなど飾らない姿が話題になりましたね。
物腰の柔らかい桑田真澄さんの指導というのはスポ根という形からは離れているように感じます。
今見での巨人に新しい風が入るかもしれませんね。
桑田真澄さんと原辰徳監督
原監督と桑田真澄さんは仲が悪いと言われています。
その理由は桑田真澄さんが首脳陣に一切相談せず退団表明をしたと言われています。
桑田氏は2006年に巨人を退団する際、二軍戦の登板を前に球団の公式ホームページ上にあった自らのコラムで「お別れ」と題した記事を書いたみたいです。
「ジャイアンツのユニホームでマウンドに立つのは、おそらく最後になるだろう」と記し、退団を示唆した。桑田氏はこの年、4月に600日ぶりとなる白星を挙げたものの、その後は故障もあって二軍での調整が続いた。
そんな背景があっての“退団表明”。
首脳陣にも球団にも一切の相談をしなかったため、原監督が「信じられない。順番が違う」と不快感を露わにした。
たしかに不快感を露わにされても仕方ないかもしれませんね。
それでも桑田真澄さんが何も考えなしに行動を起こしたとは考えにくいですよね。
入閣したということはもう解消されているかもなれませんし、シーズン中のベンチワークも気になりますね。
最後に
巨人にとっては本当に嬉しいニュースだと思います。
もしかすると菅野投手のさらなる活躍の足掛かりになるかもしれませんね。
2021年のシーズンに巨人の投手陣から目が離せないかもしれません。